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2011-07-30

777

朝コンビニで買い物したら、合計金額が777円だった

思わず店員さんに「いいことありそうです」と絡んだ

今日は大学の試験

いいことありそうだ
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2011-07-29

OT屋

昨年、とある試験で以下のような出題をした。




Q:ある商店街に「リハビリ屋 作業療法専門店」があります。


 そのお店に商品を陳列しなければなりません。

 八百屋には多くの野菜が、服屋には色々な種類の服があるように、

 作業療法の店にも色々な商品があります。

 どんな商品(作業療法の専門性)を陳列すれば店は繁盛するでしょう???

 思い浮かぶ限り挙げて下さい。








さあ、あなたなら何と答える?

2011-07-27

オヤジの会

今回は文章長いです…



娘の通園する幼稚園で、最近「オヤジの会」が発足された。






役員等はどうしても母親中心となる。

父親にも積極的に行事等へ参加してもらい、幼稚園との関係性を育む、そのような意味合いで発足された。




先日、活動第一弾として、「砂場の移設作業」があった。

炎天下の中、汗だくになりながら作業を行い無事移設は終わった。


「相互作用」とはある種恐ろしいもので、


“他のオヤジ達が頑張っているのに、自分だけ休むわけにはいかない、

 他のオヤジ達よりも作業速度を落としてはいけない”


という気持ちで作業を続けた。


ひとつ残念なことは、皆が作業依存となり話がほとんどできなかったことだ。




その後、懇親会が催された。


私の価値はこの懇親会に置いており、懇親会に参加するために砂場移設に参加した。

懇親会でオヤジ同士・幼稚園の先生方と話をすること、これが楽しみで砂場移設作業を頑張った。

初対面の人とうまく話せないという劣等感から、以前は「知らぬ人の場に行く」という作業をしていなかったが、

最近はこのような初めての場(ADOC懇親会、地区の運動会等の行事等)に行くことが楽しみでならない。








懇親会では今後のオヤジの会の方向性を話し合う時間もあった。

さしあたり今年度は「オヤジの会」発足をPRするために各種行事(運動会、お遊戯会等)で

懇親会参加者を中心に何かをしようという話になった。

凧揚げ、竹トンボ等の昔ながらの遊び・制作をオヤジの会でしてみてはどうか?という案も出た。










懇親会後、次回の会議で提案しようと思うことが1つ浮かんだ。

「幼稚園を核とした地域コミュニティの活性化」

オヤジの会のメンバーはそのほとんどが30代であり、

昔ながらの遊び(凧・竹トンボ制作等)を知らない「オヤジ」が多いと推測する。

地域コミュニティ活性化を目指し、幼稚園を核として近隣の老人クラブとの連携を図る。

「昔ながらの遊び」を子どもとオヤジが一緒に教わる。

竹トンボを一緒に作ったり、流しそうめんを一緒に食べたり、昆虫を取りに行ったり、

どんな作業でも良いと思う。








表向きは子どもとオヤジが遊びを教わることではあるが、

核となる目的は地域コミュニティの活性化であり、地域のご高齢の方の社会参加を目的とする。

このような取り組みは様々な地域で行われているであろう。

それを幼稚園を「核」にしていきたい。




私も年齢を重ねてきて「愛他的体験」を希求している自分に気付く。



退職後、何もする作業がなく、ましてやそのような愛他的体験をする機会すらない方も

少なからず存在するのではないかと推測する。



様々なイベントで「竹トンボ作り」のような企画を稀に見るが、それはあくまでも1回限りであり、

もっとルーチンにそういった活動を計画できないものか。

ルーチンに開催していくことで義務・願望作業を形成できないものか。






部屋とYシャツと私、ちゃうちゃう、

「幼稚園とオヤジと地域」


をテーマにオヤジの会を成熟させていきたい、そう思う今日この頃である。





1人のオヤジとして、作業療法士として、腕の見せ所である。 

2011-07-20

ライフワーク

人の生き方は様々だ。




休みなく365日働き続ける人もいれば、土日は家族とのんびりしたり、旅行に行く人もいる。

人それぞれ価値観が違うため、どちらが良い生き方とか、そういうことは言えない。

私の場合365日休みなく仕事をすれば間違いなく心も身体も破綻する(と思っている)















“ライフワーク”


という言葉がある。

意味は「生涯の仕事、一生を捧げる仕事、一生をかけてする仕事」。



20代前半でこの言葉を上司から教えてもらったが、当時はこの言葉が大嫌いであった。

仕事は仕事、私生活は私生活と、完全に分断した考えであった。

表現を変えれば、今後の人生(展望)を深く考えていなかったということだ。




結婚し、長女誕生の頃くらいから、将来に対する不安がでてきた。

このまま俺はOTで居続けられるのだろうか?

OTという仕事がこの世から無くなったら俺はどうやって生きていこう?

どうやって家族を支えていこう?

という、ネガティブ・シンキングな私らしい?不安感である。




その時からライフワークという言葉の意味を本気で考えるようになっていった。

一生涯をかけてする仕事を持つことがどれだけ幸せなことか、

表現は悪いがOTとして、そして人として自分がどれだけの“商品価値”があるのか、

これをここ数年は自分自身に問いかけている。






私にとってのライフワークとは何なのだろうか?



もちろんOTではあるのだが、OTの何なのかを問いかける。

作業療法士として作業療法に貢献する、死ぬまでに俺が生きた証を作業療法・この世に遺す、

なぁんて言葉が頭を過るのだが、具現化出来ていない。






考え過ぎなのかなと思う一方で、考え続けなければOTで居続けられない気もしている。

明確な答えは無い。




人生ってこういうことを考え続けるものなのかなぁ…

2011-07-19

文脈

ps12287_h.jpg












私は昔電気工事士を目指していた。

今はもう電気に関する宣言的記憶は無いが、配線くらいの手続き記憶は存在する。

父親が電気工事士をしていることもあり、将来は“親父の後を継ごう!”なんて思っていた。

野球バカだった私は電気工事士試験の勉強などせず、見事不合格。

それから電気工事士に対するモチベーションは下がっていった。




高3の夏野球を引退。進路について考え始める。





機械ではなく、人を相手にする仕事を探した。

「電気」という機械を主に扱う電気工事士を不合格したことに対する反動形成かのように。






最初、スポーツのインストラクター…
その後介護士…
そんな矢先、作業療法士・理学療法士という仕事があることを知る。





「リハビリの先生ってかっこよさそうじゃん!」



それが動機だ。




当時理学療法学科は入学倍率2倍、作業療法学科は1.5倍。

作業療法学科の方が入りやすそうだから作業療法士になろう。






入学面接に向けて、「作業療法の応用動作をみる、生活をみることに魅かれた」

そんな教科書言葉を用意していた(面接ではOT動機を一切聞かれなかった…)















見事合格。

自分が作業療法士として生きていくことを本当の意味で決めた瞬間であった。
















人生何があるか分からない。「たら、れば」は無いが、

電気工事士に合格していたら作業療法士という職業の存在すら知らなかったかもしれない。

倍率が逆だったら理学療法士になっていたかもしれない。

女房に出会っておらず、そして宝物の娘達はこの世に誕生していない。

今の大切な友人達とは見知らぬ人として街ですれ違うだけ。















電気工事士という資格を不合格になるべくして不合格なった。

「電気工事士不合格という作業」

を経験したからこそ今の人生がある。








人生とは不思議なものだ、と、我の人生からそう思う。

理屈じゃ語れない、論理的に説明できない、これだから、人生、やめられないとまらない。









つづく…

2011-07-13

ブログ開始から1年!

昨年の今頃ブログを開始した。




職場でのブログ担当がきっかけとなり、私も個人的にブログを始めようと思った

(厳密に言えばブログのやり方を職場で学び、自分でもできそうであったから…)






日々の雑感を、ブログに綴っていくことで思考をまとめることができる。

このブログのおかげで発見したこと、改めて考えさせられたこともある。




当初は教え子と学生数名にしかブログの存在を教えていなかったが、

侍OTさんのようにこのブログを通じて知り合った方もいたりと、

全国の人(と言っては大袈裟だが…)、いろんな人に読んで頂いている。

教え子とたまに連絡をとると「ブログ見てますよ!」と言ってくれる。

嬉しいね~~!




共感いただき、相互リンクをさせていただいた方もいる(ありがとうございます)















開始当初に比べれば多くの方に読んで頂いていることに喜びを感じる一方、

言いたいことが言えなくなってきた感覚もある。














言い方を変えれば、発信することの責任を感じてきたということだ。












私が勝手に思っていることであるが、書きたい・綴りたいブログから、

書かなければ・綴らなければならないブログへと変わってきた感覚がある。




義務・願望作業から義務作業のみへと。












定期的に更新することが目的となり、熟考しないまま更新していた。



本来の目的を見失っていた。




ブログを辞めようかなとも思ったが、飽きっぽい私が1年も同じことを続けてきたので辞めるのはもったいない。


OT観という名からは離れるかもしれないが、ブログ2年目は作業「療法」から離れて、原点に立ち返り、


家族、親兄弟や友人、趣味等、私を健康にする「作業」について綴っていこう!






願望作業に変わった時に更新します。




ではでは、また!

2011-07-12

とある日常で感じる幸せ

IMG_1022.jpg
日々、イケイケゴーゴーです!

2011-07-11

学会 「トップダウン的思考の教育的課題」から思う①

シンポジウムの最後に、聴講者から“当事者の立場から”と前置きしてコメントされた。IMG_1021.jpg




「皆さん、目を閉じて下さい。

 目を閉じたまま富士山を登れますか?

 トップダウン・アプローチをしないということは、

 富士山と知らせないまま坂道を登らせようとすることと同じ。

 これからどうなるのか、どうしていくのか、先を見せて下さい」







というような感じで伝えられた。














シビレる~~~~















会場には多くのOTが居たが、仮にこの言葉を聞いて何も感じないOTが居たら、

どうぞOTを辞めて下さいと言いたくなるような、ココロに響く言葉であった。



つづく…

2011-07-05

ADOC 学会を通して感じたこと

学会ポスター発表で演者数名とお話をさせていただいた。

IMG_1004.jpg



ADOCは作業選択意思決定支援ソフトであり、その名の通りクライエントにとって意味ある作業を発掘し、


作業療法士との協業の中で作業を選択していく1つのツールである。







演者の方とお話をさせていただく中で、ADOCのもう一つの側面を垣間見ることができた。





「ADOCを通して、クライエントのストーリー(ヒストリー)や作業歴、価値観等を知ることができる」




ということだ。










野球を例にとってみる。


実際にプレーできなくとも応援に行くことであったり、弁当を作ること、

応援団の一員として何か楽器を演奏する、ということにその人の価値がある。

そういう作業を以前にしていたことも知ることができるかもしれない。



何がきっかけでその人の文脈に触れられるか分からない。




“知る”というとセラピスト側の立場であるが、クライエントにとってみれば、


自己表現の機会が得られる、と言い換えることもできよう。






その自己表現の機会をADOCは提供しているように学会を通じて1番に感じた。






作業歴と言えばOPHI-Ⅱが有名なところであろうが、


時間的な制約の中でなかなか般化しにくいのではないかという見解でいる。











語弊があるかもしれないが、その点ADOCは“気軽に”出来る評価ではなかろうか。







クライエントのストーリー(ヒストリー)、作業歴を知り、文脈を探るOTってすごくない?



そのツールとしてのADOCってすごくない?






なぁんて思う今日この頃である。
プロフィール

ナヴェックス

Author:ナヴェックス
長州OTナヴェックスのブログです!
大好物:ADOC・OS・CMOP-E・MOHO・OBP実践・OT教育・生活行為向上マネジメント・精神分析(夢分析)等、広く?浅く…
PT・OT養成施設等教員講習会修了者。
OTのこと以外にも色々と思いを綴っていきたいのですが、結局最後はOTに繋がるのです・・・

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